2013年2月23日土曜日

ドライエイジングビーフ(DAB)を考える

そういえば、最近「食べもの」の話をあまり書いていなかったので、下書きに寝かせておいた話をひとつ。先日の「鳩山家の食事に見る「庶民感覚」の正体」でフォアグラの話に触れたので、ここいらでいったんあげておきます。

僕は基本的に食べ物の好き嫌いはありません。たまに食べるジャンクフードもおいしく頂きますし、「くさや」だっておいしく食べられます。いわゆる「食べ物」で苦手なものはほとんどありません。きっと貧乏性なんでしょう。ただ、いくつか引っかかっていることがあります。

ちょこちょこ書いている「調理の常識の間違い」とか
「重層的な味わい」ばかりを目指して味を足しまくる傾向とか
ハレとケ(外食と家メシ)の境界線の溶け方とか
大人と子どもの食べものの混同っぷりとか

いろいろと思うところはありますが、とりわけ、気持ちの処理に困る食材があります。

ドライエイジングビーフ(DAB)。牛の枝肉などをむき出しのまま、冷蔵庫内で数週間かけて熟成させた牛肉です。ドライエイジングは、アメリカのステーキハウスなどで使われる熟成法で、最近、日本でも「香りがいい」「味わいが深い」と取り上げられるようになりました。

ちなみに現在、日本で流通するほとんどの牛肉は真空パックで熟成させるウェットエイジングです。ドライとウェットの違い(モータースポーツのタイヤみたいですがw)は、このあたりのサイトにお任せします。

さてどうしてDABについて微妙な気持ちになってしまうのかというと、可食部を大幅に捨てざるを得なくなってしまうからです。以前、DABの旨さに感動して、図々しくも「自分で作れないものか」と挑戦してみたことがあります。温度や庫内環境などあれこれ調整すれば、数kgサイズの肉でもそれなりにおいしくはなる。しかし、本来食べられる肉の半分以上を、捨てることになってしまうのです。

これまで屠畜やエイジングを人の手に委ねて、お肉を手に入れてきたので、想像力が欠落していました。カビが生えた表面や、そこから数cmにわたって変質して乾燥した部分はトリミングして捨てざるを得ません。この作業が耐えがたい。「『いただきます』は『命をいただく』こと」と教育された身としては、「(命を)粗末にしているのではないか」という罪悪感にさいなまれてしまうわけです。

調べてみたところ、DABでの歩留まりはプロの業者さんでもいいとこ6割弱。つまり4割以上の肉はムダになってしまう。そう聞くと今後、DABを自分で注文はしない気がします。いまもフォアグラを遠ざけているのと、少し似ているかもしれません。といっても今後、絶対に口にしないかというと、わかりません。ハレの宴席で食事を出されて残すのも違うような気がします。うーん。「いただく」ことはいつも難しうございます。

だいたいこのエントリーにしても、数ヶ月下書きに寝かせていたわりに、大変に歯切れが悪い。まあ、長く寝かせりゃいいってもんじゃないのは、肉もエントリーも同じということでしょうか。できれば、肉もエントリーもおいしくムダなく、いただいたり、お届けしたいところでございます。

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