2014年12月31日水曜日

年末御礼(宿題中)

今年の大晦日も、たくさんいただいた宿題をあれこれとこねくりまわすリアル年末進行となっており、各方面のみなさまに感謝の念にたえません。と文字にしてみると、若干皮肉っぽく見えるような気がして文字コミュニケーションの恐ろしさを再確認するわけですが、本当の本気で感謝の念にたえません。だって仕事がないと生きていけないのはごく当たり前の話で、だいたい農家さん、特に動物相手の畜産家さんなどは昔から1年中働いてらっしゃいます。商家の初詣や酉の市、年始のあいさつまわりも意識の上では業務の一環でしょう。

数日以上、仕事を完全に意識から外すような生き方は、潤沢な蓄えを得た貴族的な暮らし向きの方以外にはありえないと考えているのですが、いかがでしょうか。個人的には、ゆるめることはあっても、忘れることはないというような湯加減が負け惜しみ的にもちょうど良うございます。

というようなことをうっかり口走るとお叱りをいただきかねない気もしますが、少なくとも日本では「ロングバケーション」なんてものは高度成長期以降、ようやく社会に根をおろしかけてバブル崩壊で会社や仕事ごと吹っ飛んだ仕組みなわけで、「あって当たり前」のものではなかったはず(このあたりは農耕民族と狩猟民族に受け継がれてきた習俗の違いもある気もしますが)。

周囲を見ているとデキる会社員の方々は、休暇中でも業務的インプットやアウトプットがアディクト化しているわけで、そもそもこの超高齢化社会において、ごく一部の貴族的な財産持ち以外は死ぬまで働かなければならないのは必定です。というか、「早くリタイヤしてえ」と言いながら、死ぬほど働いている貴族志向の方々は仮に"リタイヤ"に成功したとしても、働き方というか貨幣のようなものを媒介にした世の中との関わり方が微妙にズレるだけで、それはそれで働いていることと何が違うのか境界線がよくわかりません。ましてや、普通に暮らしていく我々としては、死ぬまで働けるカードを何枚持つことができるか、そのためにいま働いていると言っても過言ではないというごく当たり前の事実を再認識せざるを得なくなるわけです。

それにしても「農耕」と打とうとして「濃厚」、「狩猟」と打とうとして「酒量」と変換されるIMEがいまの僕の仕事をどことなく体現しております。そんなところからも「働く」と「暮らす」の境界線が(本来そうであったように)曖昧になっていくのだなと思うと、年末進行はもはや通常進行と何が違うのかわからなかったり、2014年と2015年の境目も除夜の鐘とともに溶けていくような気分にすらなってまいりますが、本日の夜も極私的通例にならいまして、全力でカニと蕎麦にありつこうと思います。

ともあれ2014年もみなさまにお世話になり、ありがとうございました。来る2015年が、みなさまにとって素晴らしいものになりますよう、心よりお祈り申し上げつつ、今年一番おいしかった宮崎牛の画像とともに来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


2014年12月28日日曜日

テスト

事務所忘年会(本年もありがとうございました)

昨日は数年ぶりに弊社事務所で忘年会。宴卓に使えそうなのが、6人がけの打ち合わせテーブルひとつという手狭な状態だったので、他の忘年会でお会いできなさそう&特定媒体で原稿を直接お願いしている書き手の方のみのお声がけとなってしまいました。お会いできなかった方、他の忘年会や新年会などで、ぜひともよろしくお願い申し上げます。

それにしても、6人がけのテーブルに10人以上が集まってぎゅうぎゅうとなったせいもあってか、テンションの上がったベテラン勢と中堅勢が朝まで完走するという、たいへんな盛り上がりをありがとうございました。もちろんつまみは拙著『大人の肉ドリル』のP18、牛かたまり肉のローストのフライパン版から、明け方の玄米チャーハンまであれこれ作らせて頂きましたが、まるで若者のように次々に平らげて頂いて、台所担当冥利につきました。お集まりいただいたみなさまはもちろん、本年お世話になったみなさまに御礼を申し上げつつ、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
※僕自身は年内のお打ち合わせ&提出物など粛々と進めてまいる所存ですので、引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。写真はもちろん、肉です。

2014年12月23日火曜日

このところ出たり書いたりしてるもの

いろいろ忘れる年齢なもので、今月の食い物関連まとめ。
たぶんまだ忘れてるけど、書かないよりはマシなはず。
広告やPR、その他、ビジネス&ニュース系の雑誌やWebなどの
編集仕事で表に出せるものはまた追って。

12月3日 『週刊SPA!』「S級グルメ すき焼き再考」で東京のすき焼き店3店。
12月5日 『All About News Dig』「忘年会で「肉鍋」が幹事の評価を上げる3つの理由」http://allabout.co.jp/newsdig/w/75522
12月6日 『dancyu』1月号「ザ・ベスト店(てん)」。今年うまかった店を犬養裕美子さん、堀江貴文さん、林家正蔵さんなどにインタビュー。同号書評欄に『大人の肉ドリル』書評掲載。
12月7日 毎日新聞に『大人の肉ドリル』書評掲載
12月7日 『NEWSポストセブン』「牛丼価格 乱高下の末にいよいよ「一杯500円時代」が到来か」http://www.news-postseven.com/archives/20141207_290820.html
12月9日 『R25』「「はしっこグルメ」ブームの予感?」
12月16日 『週刊SPA!』「いま読むべき100冊」でグルメ本5冊推薦。『百姓貴族』『東京いい店うまい店2015-2016』『居酒屋の誕生』ほか
12月19日 『Hanako FOR MEN』ホテル特集。高須克弥さん(高須クリニック院長)『ホテルのバーの使い方』インタビュー。「ホテルで寿司のその理由」の識者はマッキー牧元さん。
12月19日 『All About News Dig』「人はなぜ飲食店にカネを払うのか」http://allabout.co.jp/newsdig/w/76368
12月20日 『cakes』にて対談連載『肉食巡礼』スタート。初回ゲストはITジャーナリストの佐々木俊尚さん。https://cakes.mu/posts/7814
12月21日 『NEWSポストセブン』「2015年食のトレンド 体の部位への効能示す機能性食品に注目」http://www.news-postseven.com/archives/20141221_293889.html
12月22日 『All About News Dig』「今からでも間に合う! 美味しい肉料理の食べ方&語るべきウンチク」http://allabout.co.jp/newsdig/w/76475

番外 12月23日 新保信長さんからのご報告。Togetterでの「小渕優子早くも#ドリル優子 でネタにされる」http://togetter.com/li/759447 のリンクに『大人の肉ドリル』を確認。

2014年12月5日金曜日

コンテンツの「質」で勝負するサイトは負ける。 ……ことの何が問題なのか。

例によって妙なことを仰っている、地方で悠々自適生活を送られている方に対して、こちらは引き続き東京で消耗しているわけでして、それ自体は自分の選択ですし、むしろ積極的に消耗しながら再生力をつけていこうというマインドなわけでございます。ともあれ、バイラルメディアとか、炎上ブログに1ミリたりとも協力したくないので、リンクも一切張りません。拝見したバイラルメディアの動画はYouTubeをたどって直リンをはりつける毎日です。そんなつもりはありませんが、これもちまちまと消耗しているうちに入るのでしょうか。

さて表題の件ですが、どうも手段の目的化が起きているのはいつもの通りというか、四国さんの通例でございまして、結局何をどうしたいのかというその先のビジョンがまったく見えません。なんでしょうね。この「ただ生きてさえいればいい」感は。いやそれはそれでいいと思うのです。「生きていればいい」という生き方も確かにあるでしょうから。

でもね。ならば、人の邪魔はしないほうがいいと思うのです。役に立てとは言いません。でも、炎上するようなことを書いて、人の気持ちを引っかいて、他人の生産性や作業効率を下げ、何をも生み出すことなく、ただPVを稼いで「ただ生きていくため」だけの実入りを得て、さらにそれが成功の方程式かのようなデタラメを撒き散らかす。日本中が四国さんのような生活をしはじめたら、国が滅びますよ。全国民が虚業とか、いったいどんなゆとりの国のアリスですか。

表題の件はまさにそうで、「コンテンツの「質」で勝負するサイトは負ける。」とありますが、もはや個人サイトでイチからコンテンツを作り上げて、PVを得たりするのはたいへん困難です。ゼロからスタートして「勝つ」ことが正しい目標設定かのかのように吹聴し、「負ける」と人の気持ちをひっかくのは、悪しきハーメルンにほかなりません。

むしろ「負けようともコンテンツの質をあげようと考える」人や、もっと言えば「勝ち目が薄いのはわかった上で、どうコンテンツを動かせば、何が変わるのか」考え続けることができる人が、人生においては勝つわけです。そもそも人生の勝敗=サイトの勝敗かのようなテンションで書いてるのがおかしな話で、別に「サイトが負け」たところで、人生が負けるわけじゃありません。だってふつうの人は仕事をしてるんだから。多くのアフィリエイターだって、世に知られていない商品を紹介するなど世の中の役にはたってます。

もう本当、言うまでもありませんが、人生に必要なのはサイトが負けないことではなく、その人自身が四国さんも含めたいろんなまやかしに負けず、引っかかれず、引っかからないことです。

そしてはたと我に帰ったところ、そもそも引用元のサイトも「3年後に生き残るアフィリエイトサイトを考えてみた」(http://www.t-antenna.com/entry/2014/11/10/083104 )というごくごく狭い世界の話をしているわけで、前提がまるで違います。すべてのネットユーザーがアフィリエイトで食おうとしているかのような、話のすり替え手法が姑息すぎて頭痛が激痛で痛いです。

しかも言うにことかいて、「ファンづくりが大事」「目指すは芸能人ブログ」ですって? コンテクストの構造と階層がまるで違うでしょうに。あ、炎上芸人として芸能界で華々しくやっていかれるおつもりならそれはそれでいいと思います。

しかし、こんなエントリを自分の誕生日に書いている時点で、ある種の負けではあります。恥ずかしいのでひっそりと沈めておこうとエントリは下書きに寝かせておりました。すると2週間ほど経った本日、自分の周囲で「並外れたバカは、人の時間を無限に搾取する」お前本当にいい加減にしろよ的出来事が起きました。善意のない姑息なバカはいずれ社会から撲滅されたり、勝手に自滅したりするので、それ自体は遠巻きに見守りたいのですが、そんな修羅道に大切な人たちを巻き込ませないよう、そして自分自身も巻き込まれないよう、本日も心と体を整えてまいりたいと思います。

2014年11月30日日曜日

『大人の肉ドリル』の発売を機に家での肉調理について考えたこと


この10年ほどの肉人気はブームをはるかに超え、日本における肉食文化を急激に進化させた。でもそれは主に外食産業においてのこと。一般家庭の肉調理の進化はそれほど進んでいない。

というのも、プロがそのネットワークと技術を駆使して導入した手法をそのまま家の台所にもちこむのは、とてもむずかしいからだ。味にうるさい客を相手に修練を積み重ねた再現力と、たくさんの客を満足させるために必要だった高額で大きな機材。いずれも一日にせいぜい10人分を作る家庭の腕自慢が導入できるものではない。

でも、予約が取れない料理店のあの味を、どうしても家で食べたい。そのままというのは難しくとも、あの感動を行列に並ぶことのできない家族に伝えたい。そんな人たちのために、編集者/ライターとしての自分は何をできるのかを自分なりに考えた。

出た結論は、調理にまつわる莫大な情報を整理して、各工程の意味をひもとき、必要な部分を抽出し、家庭の機材に合わせて再構築すること。ただし頭でっかちになることなく、実際に食べたときの記憶と取材などで得た情報を足がかりに、調理にまつわる科学論文や文献を調べ倒す。そうして得られたエビデンスから従来の手法を検証・補強することに軸足を置いた。そうして家で肉がおいしく調理できるような手法をレシピとして組み上げながら、同量のページ数を「おいしくなる仕組み」の解説にあてた。

正直なところ、最後は突貫作業になってしまい、原稿があらいところを早く重版で直したいという図々しい気持ちもある。でも料理好きの校閲の方(あの「北島亭」にハムの作り方を習いに行くようなマニアックな先輩編集者でもあります)が、「いくつか作ってみたけど、どれもとてもおいしかったし、ステーキなどは感動しました。安い肉でやったのに、あれほどうまくなるとは。今後、ステーキはこの手法で焼きます」と仰ってくださった。

予算等の事情で、写真も自分で撮ることになり、アガリに凹んでいたら、ビジネス誌の記者をしている知人が写真をホメてくれた。「素人なりにがんばった」というホメ言葉かと思って礼を言ったら「えっ。これ自分で撮ったの?」と持ち上げてくれた(もっとも表紙はアザー用として預けておいたコンデジ写真をデザイナーさんが見事な画角でトリミングしてくれたもの)。

調理にまつわるプロの方々や料理家を差し置いて、こんなものを出していいのかという後ろめたさはいまもどこかにありますが、「食べる」「つくる」「ひもとく」を網羅するというスタンスだからこそ書けることもきっとあったのでしょう。肉についてこうした仕立ての本がなかったこともあってか、肉食女子として第一線で活躍されるフードライターの小石原はるかさんや、国内最高峰のソーセージを作る「シュタンベルク」の久保弘樹さんがFacebook上で身が縮こまるほどホメてくださって、本当に勇気づけられました。


何はともあれ、肉が好きな人には(作る人だけでなく食べる専門の方にも)何かのお役に立てる一冊になっていると思います。書店等で見かけたら、立ち読みでもいいので手にとってやってください。もちろんレジ直行も大歓迎です(と言いつつ、Amazonリンクもこちらに貼っておきます)。



2014年11月16日日曜日

こんなに再現性が高くていいのか


と、むやみに悩むくらいに、何度やってもこの加減が狙える。
コンベクションオーブン、恐るべし。

2014年11月4日火曜日

最近話題の女子高生drummerの師匠である、手数王の対向になりそうなドラマー一覧

どうも手数王系の動画ばかりが流れてきて……というか、自分でも流してしまっていて(https://www.facebook.com/tatsuya.matsuura/posts/762705027099108?pnref=story )、あんまり踊りたくならないので、対向に来そうなグルーヴ系日本人ドラマーを何人かUPしておこう……。なんて思ったら、Pontaさんが神保彰さんを冗談交じりにDisってる動画をみつけてしまったので、これは先頭に持ってこざるを得ない。

村上”Ponta”秀一(作品を挙げたらキリがない)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%A7%80%E4%B8%80
https://www.youtube.com/watch?v=_0wAt_H_W3k

林立夫(ユーミンとか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E7%AB%8B%E5%A4%AB
https://www.youtube.com/watch?v=lW3jepp19Tc

青山純(山下達郎とか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E7%B4%94

https://www.youtube.com/watch?v=XbLCcMmm7UE


沼澤尚(THEATRE BROOKとか)

https://www.youtube.com/watch?v=k8aQr2B4HbE

2014年10月12日日曜日

「西俗東漸」がGoogle先生で引っかからない件。

Google先生、万能だと思っておりましたが、当たり前の話ながらその国に残された文字文化が上限です。編集者としては、新しい情報も追っかける方にどうしても軸足を置く必要はありますが、アクティビストwとしては現場で起きていることにも触れなきゃいけないし、ライターとしては深堀りもしなきゃなりません。

なぜそんなことを思ったかというと、明治期の資料などをひっくり返していて、『明治事物起源』という明治なんでも辞典的な本を読み込んでいたら、「半熟卵を食ふ習俗」という項目に「西俗東漸」という四字熟語が出てきて「ん?」とつっかえてしまったわけです。

その記述としては
「嘉永三年十二月の條に、『異人雉卵のゆてたると、パンをくれし故に、其玉子を取り食せんとすれば皆なまゆでなり。されども、しかいふも遠慮しにて各食しぬ。鶏卵は黄みのこらぬ程なるかよろしといふことを後にて覚えたり』叉元治元年横濱沖なる軍艦内に雇はれし者の日記に、『朝食、牛の乳一合程温め飲、あとにて鶏卵をゆで黄身の固まらざる、どろどろなるを好む、固まりたるは食べす』とあり。わか國人、今日半熟卵を食ふ習俗は、疑ひもなく西俗東漸なり。」

要は「ゆで卵を半熟で食べるのは、そもそも毛唐の習慣である」と。「西俗東漸」とは「西洋では昔から当たり前のことだったが、東洋(というか日本)では最近になってようやく浸透してきたこと。やっぱり西洋は進んでるなあ」とかそんな意味なのでしょうが、調べてみたところまったく引っかからない。引っかかるのは大陸方面の漢字Webばかり。

確かに超分厚い資料の一節ですから、上がっていなくても不思議じゃないんですが、バイラルメディアだまとめサイトだと、もはや調べ物のノイズにしかならないウェブが超大量に生産されているのに、明治期の資料としては引用されやすい本の一節が検索に引っかからないと、中川淳一郎の「ウェブはバカと暇人のもの」が描いた未来以上にバカと暇人向けのコンテンツが生産されているじゃないかという寂しい気持ちになるわけで、バイラルメディア各位には国威発揚、国力向上のために一刻も早く見切りをつけていただいて、ひたすら過去の資料をまとめるレトロアクティブメディアとかできないかしら。

少なくとも現状では、頼りになるのはGoogle先生単体よりも、Google先生含めて広範囲に調べた資料&フィールドワークの積み重ねで仮説を構築→事実を検証、という本来ごくごく当たり前のことをお若い方にお伝えしたいのですが、その前にまずGoogle先生で広範囲を調べる習慣をぜひつけていただいたり、情報の読み方をクリティカルリーディング等で学んでいただいたり、その前にまずは新聞などネット以外の情報に触れていただいたりしたいところです。10代のPC利用率が落ちるとネトウヨが増えて鬱陶しいことになるに違いないので、なんとかならないものでしょうか。ところで「メッツゲライ(metzgerei)の語源、どなたかご存じありませんか。シャルキュトリーは「肉+加熱」で間違いなさそうなんですが。


2014年6月16日月曜日

100年前の山形に生まれたら、こんな大人になりたい

天童町に住む沢尻家ではご主人がそばつくりの名人で、よそに頼まれてはそば打ちに行き、ごちそうになって満足げに帰ってくることがしばしばである。――「聞き書 山形の食事」(http://goo.gl/VSHDmj
)P41より

2014年6月14日土曜日

北海道の「てんぷら」はどこから来たのか

僕は地方に行くと時間のある限り、現地のスーパーとコンビニを覗きます。もちろんご紹介いただいたり、下調べしたり、ときにはヤマカンで飲食店にも行きますが、さすがに一日中飲食店で食べてばかりというわけにもいきませんし、スーパーやコンビニに行かないとわからないことも山ほどあります。


例えば今回行った釧路は鮭、ししゃもなどの海産物を全力で推しています。市役所の外壁にも「ししゃも」「さけ」という文字の入った巨大な垂れ幕がかかっていますし、スーパーに行けば高さ200cm×幅300cmの冷蔵フェースがまるごと切り身の鮭で埋め尽くされていたりします。専用棚の数もちょっと大きなスーパーに行けば、ひとつやふたつではありません。ほかにも新巻き鮭の一本や半身の専用棚や、いくらやすじこ、たらこなど魚卵専用の棚がそこかしこに。人によっては、痛風がビュンビュン吹きそうな風情によだれが……。

お値段もすばらしくリーズナブルで、結構いい型の鮭が半身で800円、一匹1500円くらい。かなりいい型のトキシラズでも一本3000~4000円ってどういうことですか。東京にいるとほぼ全国のものは食べられますが、地方に来ると値頃感がまるで変わります。五里四方とかフードマイレージとかごちゃごちゃ言われなくても、地産地消というのは住まう人にとってやさしい仕組みなのだなあとあらためて思い知らされるわけです。














ちなみに、約100年前のでんぷんうどんのように、九州と北海道にはときどき妙な符合があります。今週釧路で知ったのは、釧路でのさつま揚げは「てんぷら」とも呼ばれていること。まるで福岡の丸天、宮崎の飫肥天、松山のじゃこ天など、九州や一部四国を想起させるような呼称でも定着しています。

小樽あたりでもそういう例があるようで、さてこの「てんぷら」は北前船由来なのか、明治期に移住した開拓民由来なのか。北前船が操業していた江戸期には、すり身を揚げたものを「てんぷら」と呼ぶ地方もすでにあったよう。相当掘らないと正解に行き当たりそうにありませんが、保存性を考えると後者の線でしょうか。いやいやしかし、茶豆における山形県鶴岡と新潟県黒崎のように(http://www.mizuho-s.com/annnatabekata/atkt136.html )人の行き来が土台となって、食べ物やその呼称が伝播するパターンはいくらでもあるわけで、機会があればこのあたりもぜひ掘ってみたいところです。















そういえば今回の旅では、以前デイリーポータルZ(http://portal.nifty.com/kiji/130825161521_2.htm )でも紹介されていた、「マフラー」「かりんとう揚」「しゅうまい揚」にも会うことができました。この3種の練り物については、釧路も室蘭も特に変わりはなさそうです。さて、味もわからないこの大量の練り物をどうしてくれようか。

2014年5月25日日曜日

すごいPOP!




見事すぎるコピーに思わず買ってしまった。


















※追記
確かに安うございました。

2014年5月23日金曜日

この一週間でWeb上に上がってたもの

なんかあれこれ追っついてませんが、
この一週間でWebに上がってたものを備忘録的に。
●書いたもの
・世界一のレストランの予約方法と日本人マインド
<All About News Dig>
http://allabout.co.jp/newsdig/w/65038

・肉食ブームの裏で畜産農家が悲鳴 子牛の価格は約2倍に高騰
<News ポストセブン>
http://www.news-postseven.com/archives/20140518_256763.html

・男の王道鳥はむ
<メンズスキンケア大学>
http://sp.mens-skincare-univ.com/lifestyle/article/004445/

●どっかで登場してるもの
・使える! 新顔「万能調味料」5選
<web R25>
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20140522-00036338-r25

・食べログを否定する久住昌之の最新作『野武士のグルメ』
<エキサイトレビュー>
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140522/E1400700660781.html

2014年4月21日月曜日

長野の「粉モン消費日本一奪回」について、ご説明申し上げます。

や、とくにどこかからツッコミが入ったとかそういうわけじゃないんですが、一応ご説明を申し上げておきます。先日こんな原稿をNEWSポストセブンさんに書きました。
>長野が3年ぶりに「小麦粉消費日本一」 強豪・奈良を振り切る
http://www.news-postseven.com/archives/20140420_252203.html

という原稿のお話です。

この原稿を書くために調べ物をしていたところ、日本経済新聞に少し前にこんな生地……もとい記事が掲載されていたことを知りました。WEB版に掲載されていた大阪社会部の記者さんの記事なので、もしかすると全国版には載っていなかったのかもしれませんが。

>小麦粉購入、奈良トップに 専業主婦のパン作りで? 
>ベッドタウンでホームベーカリー販売好調

http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH2500G_W4A320C1AA1P00/

こちらでは「奈良がトップに」となっています。僕の記事では「長野がトップ奪回」。どちらかが間違っているというわけではありません。単純に総務省の調査から抜き出しているデータが違うというだけのお話です。僕は「総世帯」の数字を抽出し、日経の記者さんは「二人以上の世帯」を抽出しています。

大手メディアでは「二人以上の世帯」に限定したデータ抽出をする記事が目立ちますが、僕は、あるコミュニティ全体の現状をくくる原稿のときにはできるだけ「総世帯」を採用するようにしています(理由は後述します)。
何かの企画に「総世帯」と「二人以上の世帯」を引用するのには、それぞれメリット・デメリットがあります。そもそも日本の家計調査は終戦直後の1946年にスタートした「消費者価格調査」から発展したもので、「都市に居住する単身世帯を除く非農林漁家世帯」を対象に毎年調査が行われてきました。
「二人以上の世帯」の数字だとこの蓄積データが使えます。家計調査は費目分類などしばしば変更がなされ、厳密にはどこまで信頼のおける比較データなのかがわかりづらい面はありますが、「同じ母集団」との比較が手法としては可能になります。
総務省統計局に電話してみたところ、やはり「二人以上の世帯だと過去との比較ができる」「総世帯だと(単純に人数が少ない分、世帯支出が減るので)平均の数字が小さくなる」のが一番の違いのよう。現在の調査対象は二人以上→約8000、単独世帯→1000──。ざっくり言うと、この比率を現在の二人以上:単独世帯の比率である75:25に当てはめて加工しているということのようです。
企業のマーケティングや対象を限定しての企画なら「二人以上の世帯」の調査も必要でしょうが、僕の感覚としては、地域全体をくくるような企画や世相を読み解く企画で「二人以上の世帯」に限定するのにはどうにも違和感があります。
加えて今回の日経さんの記事は、個人的には苦手なタイプの原稿でした。記者の仮説を実証するためのロジックに見えるのもそうですが、本来ランキング的な企画で、個人のオピニオンが入る余地は総括くらいでしょう。それも媒体の意見として言えるくらいのロジックの積み重ねと説得力が必要です。
なのに、冒頭からツッコミどころ満載で、「奇妙なことに気付いた」(特に「奇妙」ではない)、「調味料入り小麦粉は別項目で集計しており、関西特有の“粉モン”好きとは直接関係なさそうだ」(小麦粉から作る家庭はいくらでもある)と一人語り感満点。
さらには「考えあぐねていると」「興味深い事実に気付いた」「担当者は「聞いたことないなあ」とつぶやいていたが、数日後、驚いた口ぶりで返事が返ってきた」、(大学教授に仮説をぶつけた反応を)「面白い。確かにその通りですね」と書く。社員記者がこういう自己礼賛型の原稿を書くのってありなんでしたっけ。

ああ、でもときおり新聞社の社説に……(以下略 

2014年3月16日日曜日

藤巻幸大さんの訃報に接して

今朝から各所で報道されているが、藤巻幸大さんが亡くなったという。まったく実感が湧かない。

初めてお会いしたのは10年ほど前だったろうか。大人系ライフスタイル誌での「美人秘書特集」で取材させていただいた。神宮前のオフィスに伺ったから、福助にいらしたときだったと思う。再建中の会社のトップなのにこんな軽い企画を受けてくださった上に、自ら社内のあちこちを案内してくださった。もちろん、しっかり商品と社員のPRもしていただいたけれど。

その次の取材時には、セブンアンドアイ生活デザイン研究所の代表になっていらした。「転職当たり前時代の会社員としての生き方」みたいなことを伺ったと思う。週刊SPA!のそれほど大きくもないコラムだったのに、快くお時間を割いてくださった。そういえばこの取材のとき、ちょっとくすんだピンクのデニムのジャケットを着こなしてらしたのが、すごくカッコよかった。

影響された僕は直後からピンクのデニムを買い漁るようになる。たいへん失礼ながら藤巻さんとは「背が高くない」「顔が小さくない」という共通項があると勝手に思い込んで、その着こなしをことあるごとに(勝手に)勉強させていただいていた。

その後も藤巻さんは全然落ち着かれる様子がなくて、フジマキ・ジャパン、テトラスターなど、お会いするたびに名刺の肩書が変わっていった。この3年ほど僕自身はごぶさたしてしまっていたが、弊社の島影が『藤巻百貨店』に関わっていて、昨年の晩秋、久しぶりにごあいさつさせていただいた。お変わりないようで何より。少なくともそう見えた。思えばいつもそうだった。確かSPA! の取材の前後にも大病をされたはずだったが、お会いするとまったくそんな素振りを見せなかった。

いつでも、どんな現場でもそこにいらっしゃるだけで、場に活気があふれてくる。藤巻さんはそういう方だ。実は藤巻さん一流の気遣いと、ポジションに見合わぬ腰の軽さのなせる業でもあるが、あれほどまでに、プラスの気で現場を掌握できる人を僕はほかに知らない。

あの驚異的なアクティビティを考えると、仕事の現場で藤巻さんの気遣いに直接触れた人は、数万人にはのぼるだろうし、間接的な話や講演、著書などで「藤巻イズム」に触れた人の数となればその何十倍にもなるはず。少しでもその空気に触れたものとしては、これからも世の中を楽しくするお手伝いをもっと一生懸命していこう。いまはそのくらいのことしか思い浮かびません。

第一報に触れてもう半日が経っているし、ここまで書いてもどうにも現実感がありません。藤巻さん、「どうぞ安らかに」はもう少し経ってからにさせてください。

2014年3月13日木曜日

『ストーリー311』に学ぶ、「企画する」ということ

企画を立案し、効果的に実行するのはいつも難しい。原稿でもイベントでも難しさは同じ。企画が弱いと世の中に届かない。かといって、妙な強さが悪目立ちすると誰かを傷つけたり、不快にしかねない。そして企画の柱がしっかりしていないと、誰のためのどんな企画かわからなくなる。だからこそ、どんな規模のどんな企画でも、とりわけ震災関係の企画は、土台を強固に作る必要がある――。というエントリーを書こうと思っていますが、書き進めるうちにどうなるかはわかりません。申し訳ありません。

ちょっと前、次のような原稿をニュースサイト(エキサイトレビュー)に書きました。かなりフラフラの状態で書いた突貫原稿なので日本語がちょっと恥ずかしく、いまさら修正するのもそれはそれで恥ずかしいのでどうしようか迷ってるというのは余談です。

どう発信すれば誰に届くのか。漫画で描き残す東日本大震災『ストーリー311』の選択
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140311/E1394480788315.html

"震災企画"の難しさは、被災地とそれ以外の地域で、「震災」の捉え方がまったく違うところに象徴されます。まず企画立案の前に「目線の高さ」「感情の温度」「利用感」といった、「気持ちとコミュニケーション」の土台をかためなければならない。ざっくり言うと、かためるべきは以下のようなポイントでしょうか。

  1. (主に東京など他地域でスタートした企画の場合)、目線は高くないか。企画側・発信側が「施し」の満足感・優越感に浸っていないか。
  2. (特に地元や近い人からスタートした企画の場合)、発信者として冷静さを失っていないか。地元以外に暮らす人にきちんと届く設計ができそうか。
  3. 「震災を利用」していないか。

どの項目でも、人の受け取り方は異なるわけで、動機が100%善意によるものでも、ある人がどんなにうれしいと感じる行動でも、人によっては不快だと感じることもある。「感情とコミュニケーション」のさじ加減はいつも難しいわけです。日常がそうであるように。

1.は「布施」とか「喜捨」(http://puchishugyou.blogspot.jp/2008/10/blog-post_22.html )のような心の持ち方があれば、誰もが互いにフラットな関係を築くことができるはずですが、「目線の高さ」はあちこちで間違える人が続出するほど、ゼロから伝えるのは超難しいわけで、細かくはさておき、日本語としては「☓☓してあげる」禁止ということで、よろしくお願い申し上げます。

2.は「正しい」という主張を捨てられるか。言いたいことをそのまま大声で叫んでも何も伝わりません。伝えたいことをぎゅうぎゅうと絞って、最終的に伝えたいことを絞り出して、さらに加工して物事は初めて伝わるようになります。伝えたいことのために、言いたいことを切り捨てる覚悟と、その一方で絶対に捨てちゃいけないものを見極める審美眼が必要だと思われます。

3.でありがちなのは、動機が善意でありさえすれば、許される、認められるという勘違い。例えば、去年あたりからこんな活動がときおり目に飛び込んできます。

京都)東北支援へ学生バス 活動費は大人の寄付
http://www.asahi.com/articles/ASG2K41Y1G2KPLZB00K.html

動機は善意なんでしょう。でも大学生なら交通費と民宿代くらいバイトで稼げるはず。深夜バスなら片道数千円でわりとどこにでも行ける。「授業以外は比較的時間に余裕がある」なら交通費・宿泊費を自力で稼げばいいじゃまいかという気がしてしまいます。学生さんは本気でいいことしてるつもりなんだろうけど、人のカネで現地入りすることに気が引けたりしないんでしょうか。小中学校のとき「こづかいしかもらってない人間が人におごってはいけない」と親御さんから習わなかったろうか。そして、大人も叱るべきは叱らないと。無責任に背中を押すのが大人の仕事ではない気がします。

一方、『ストーリー311』プロジェクトは、今回の資金調達にあたり、クラウドファンディングという手法を選択しました。
http://shootingstar.jp/projects/357

出資を募って、その対価としてマンガ家の手によるSNS用アイコンや、サイン本、打ち上げへの参加権など、出資者の価値に見合うものを提供する。マンガ家には普段からSNSなどで「誰に何を届けるか」を考えている人も多い。だからこそ、価値の等価交換をきちんと成立させられる。しかも取り組みが目新しいから、ニュースとしての価値も生まれる。報道されると、この本の存在、ひいては震災の記憶が伝播し、刻まれる。本が売れる過程で「震災の記憶」をさまざまな形で残していくことができるわけです。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1311/22/news097.html

『ストーリー311』の土台は、前巻のプロローグで、発起人のひうらさとるさんが描いていた「一番大切なことは"被災者ではない私たちが普段通りの"日常生活"を送ることではないか」「なにか少しでも私たちにできることはないんだろうか……」という思いにあるんでしょう。

そしてきっとその根底には「何をどこまで描いていいのか」「この表現で誰かを傷つけやしないか」「でも、表現を丸めて、あの震災を知らない人に届くのか」という、やさしい迷いがいつも流れている気がします。真剣な支援を目指すからこそ、作家は迷うわけです。それでも迷いながら、「作品」という形でその時点での結論を出さなければならない。迷いの積み重ねが読者の心に響くような作品となり、支援につながっていくわけです。

取材や執筆のタイミングが異なれば、拾い上げる要素や表現の手法も変わるのはごく自然な話で、今年の版には去年の続編もあれば、原発作業員を描いたまったく違う切り口の作品なども盛り込まれました。作品のバリエーションや層の厚みが増し、全体により立体的になったと言える気がします。

ざっくり性格を色分けすると、Webでの連載からコミックスとなった2013年版は「2012~2013年のできごと」、クラウドファンディングをベースに資金調達をした2014年版は「それぞれのこれから」。2014年度版は海外展開も決まったそうです。展開の形や時期が明らかになったら、1500万いいね! を誇るTokyo Otaku Mode(https://www.facebook.com/tokyootakumode )さんあたりに、ぜひ海外向けのレビューを書きたいので、関係者のみなさま、ぜひレビューの方も英訳や展開などなどご相談させてください。

『ストーリー311』のそっと寄り添うような繊細な表現の数々からは目線の高さなどみじんも感じられず、伝え方は過酷で知られるマンガ業界の第一線で活躍する作家さんならでは。「利用」ではなく「貢献したい」という思いは、「全額チャリティ」を持ち出すまでもなく、作品のそこかしこから伝わってきます。たくさん売れたらいいな。いろんな人に届くといいな。そう願わずにはいられません。

ところで昨今、いろんな分野でフィクションとノンフィクションの境目について、やいやい言われております。フィクションでもノンフィクションでも、下敷きが事実でなければ説得力は生まれませんし、どちらが上とか下とかそういう話ではありませんが、世のフィクションの多くは妄想でもなんでもなく、積み重ねられた事実をベースに作家が細密に物語を編むのだということを申し添えつつ、資料も添えておきます。

早稲田文学 記録増刊 震災とフィクションの距離
http://www.amazon.co.jp/dp/4948717053

そして肝心の『ストーリー311 あれから3年 漫画で描き残す東日本大震災』ですが、3月13日早朝現在、Amazon(http://www.amazon.co.jp/dp/4041210445/ )さんでは絶賛入荷待ち中ですが、在庫はあるところにはあるようです。
トーハンのオンライン書店、e-hon(http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033061987&Action_id=121&Sza_id=A0 )
hontoネットストア(http://honto.jp/netstore/pd-book_26056641.html
セブンネットショッピング(http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106371316/subno/1

2014年2月11日火曜日

農水省の玄関ロビーに、世界に向けた茶室が設置されるという斜め上施策

農水省玄関ロビーに茶室設置 「和」の心でおもてなし
という記事が日本食糧新聞の10日付の記事に。
http://news.nissyoku.co.jp/Contents/urn/newsml/nissyoku.co.jp/20140210/ITO20140203043509683/1

やー、どう考えても、置き場所はそこじゃないでしょう。

とは思ったものの、日本食糧新聞は有料会員じゃないと記事全文を読めないので、Google先生に聞いてみました。

すると、どうやら日本食糧新聞の報道のタイミングは不思議なくらい遅かったようで、一週間ほど前にこの茶室に素材を提供した地方の地元紙があれこれ取り上げておりました。

鳥取製の組立茶室で和文化PR 農水省で展示 (山陰中央新報/2月3日)
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=544029005

農水省に茶室 「和」を発信 掛川茶を提供(静岡新聞/2月4日)
http://www.at-s.com/news/detail/933008743.html

それにしても、こういう予算の使い方はどうなんでしょう。誰が思いついて、どこから横槍が入ったのかわかりませんが、不時着感満点です。農水省がBRUTUSの農業特集に3000万円落っことした(http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/books/090206a.html )ときには、狙いやコミュニケーションの手法は理解できました。しかし今回は「誰に向けた」「どんなアピールなのか」、まるでわかりません。

国内各地から素材を募り、仕立てた茶室を農水省の玄関ロビーに置く。各地方からいらした陳情者の方々は、さぞかし満足して郷里にお帰りになられることでしょう。でも、どうも農水省さんの狙いは違うようです。

 「心でおもてなし、食でおもてなし」。林芳正農林水産大臣は農水省正面玄関ロビーに設置した茶室の除幕式で力強く訴えた。和食のユネスコ無形文化遺産への登録や、2020年のオリンピック・パラリンピックの招致成功など日本の文化や食にとってPRの好機となった中で、農水省は正面玄関ロビーに国産の材料をふんだんに使った茶室を3日から3月28日まで設置、来庁者に日本文化の良さを知ってもらう狙い。
なんと、農水省のロビーから世界に向けて、日本の文化や食文化を発信するという斬新な企画のようです。えっ。「世界」とは書いてない? 確かにそのとおりですが、「日本の文化や食にとってのPRの好機」というならば、「来庁者」は世界からのお客様を想定しているに違いありません。農水省を訪れるような日本人は日本の文化や食に造詣が深い方ばかりでしょう。

そしてこの茶室、果たして使えるんでしょうか。作るなら、来客をその茶室でもてなすことができる施設でこそ、PR効果は生まれるというもんです。実際に炭を熾して、茶を点てることができる本物の茶室。機能のない巨大な置物を作ったとしたなら、2か月間で何をどうしようとしたんでしょうか。もしや、その間に海外の要人が農林水産省を訪問する予定があるんでしょうか。きっとそうに違いありません。そう考えないと、やりきれません。

と思ったら、都立大の銘米穀販売店「スズノブ」のお米マイスター、西島豊造さんが「なんか、もったいないと思う」とBlogに書いてらっしゃいました。さすがに反応がお早い。
http://blog.goo.ne.jp/nishijima2468/e/907e549a04b29deb094d8492add4a0e8

どうせ置物なら、羽田や成田あたりの空港でいいじゃないですか。もしくは銀座ミツバチプロジェクト(http://www.gin-pachi.jp/ )と連携して、銀座の百貨店の屋上に設置するとか何かしらできなかったんでしょうか。ともあれ現物を見ないことには、これ以上何も申せませんので、期間中、一度くらいはのぞきに行ってみようと思います。さて本日は、以前銀座にあった、お米ギャラリー銀座(※後のごはんミュージアム……も閉館しております)に思いを馳せながら、懸案かつ佳境となっている原稿の直しに戻ります。

2014年2月1日土曜日

「えっ。吉祥寺が?」と煽り煽られ人気の街ランキング物語2013

某まとめサイトで、「人気の街ランキング1位から吉祥寺が脱落!1位はまさかのあの街でした!」という煽り感満点の見出しを拝見して、一瞬、「えっ!?」と絶句してしまいました。誰もがそうだと思うんですが、生まれ育った街の地名が登場すると、無条件に反応。うっかり脊髄反射してしまいそうになります。

ソースとなった調査はHOME'Sさんのものですね。まとめサイトへのリンクは極力はりたくないので、詳しい順位は原典でご覧くださいませ。
http://www.homes.co.jp/kurashito/life/ranking/ranking025/

【2013年、いちばん人気だった街は?】全国エリア別 年間ランキング発表!
1位 池袋
2位 荻窪
3位 大宮
4位 三軒茶屋
5位 川崎
6位 高円寺
7位 吉祥寺
8位 恵比寿
9位 葛西
10位 中野

僕の大好きな吉祥寺は7位。仰天です。不動の1位だと思っていたのに、マジか……。ところが、1位の「池袋」のキャプションを見て、「はて?」と首をひねってしまいました。

「毎年不動の人気を誇る池袋」

ですと!?

特に引っ越しとか物件を買うとか考えていないうちに、世の中はそんなことに……。都内の路線の延伸効果がこんな形になってあらわれたのか……と釣られかけたのですが、さすがにいくらなんでも僕の知っているランキングと違いすぎるので、SUUMO先生に聞いてみました。
http://suumo.jp/edit/sumi_machi/2013/kanto/

SUUMO2013
1位 吉祥寺
2位 恵比寿
3位 横浜
4位 目黒
5位 鎌倉
6位 自由が丘
7位 新宿
8位 品川
9位 表参道
10位 中目黒

安心・安定のランキングです。まさに人気不動の吉祥寺。いつかは帰りたいけど、いつの間にか高くなりすぎて、もうたまに遊びに行くくらいが関の山という状態はまだまだ続きそうです。まあ、調査元、調査方法、係数なんかが変わらなければ、そう大きくは動かないのは、自明でございます。

ちなみに調査方法やタイミングも全然違っていて
HOME'Sは「2013年の1年間に賃貸で問い合わせの多かった街」
SUUMOはネットアンケート調査(2013年1月実施)

HOME'Sは「いま、現実的に住みたいと思っている街」で、値頃感と複数路線のアクセスの良さ、つまりそこを拠点にどう動けるかという、住む人のスピード感が感じられます。現役バリバリ。動的な街ランキング。

SUUMOは「いつかは住みたいあこがれの街」。ゆったり感と街としての完結性、都内・近郊でプチ旅行的なレジャーを楽しめる街。「いつかは沖縄の離島に住みたい」と似たリタイヤマインドを感じます。静的な街ランキング。

それ以外にもあれこれ違いはあります。
HOME'S 安くて旨い店が多い。予約とかなにそれな店も
SUUMOには高くて遠い店が多い。予約してないってなにそれな店も。

HOME'S 坂が少ない。自転車でGOGO!
SUUMO 坂が多い。徒歩10分以内は歩くけど、その外はクルマで。

HOME'S 賃貸
SUUMO 億ションか戸建て

とまあ、全然属性が違うわけで、ここまで対象が違う調査から項目を引っ張ってきて「脱落」とはメディアでやったら大変な燃え様が目に浮かぶわけですが、まとめサイトさんですから仕方がありません。いつかは、2ちゃんねる以外のネタ元への配慮のお気持ちも、少しは持っていただけるといいなあと思う次第でございます。

と思ったら、どこのニュースサイトも「関東1位は吉祥寺でなく…」とか見出しを打っておりまして、こんなことで読者の時間を奪うのはどうなのかと、見出し規制すら心配になりますが、メディアに検閲とか特定秘密保護法だとかいう図書館戦争さながらの未来が見えてきかねないので、みなさん良識の範囲内で飛ばしまくるがいいですよ。少なくともニュースサイトは「ダウン!」とか「脱落」だなんて、同じ調査かのような見出しはつけちゃいけないでしょ。

いつかは、まとめサイト専用URLへの埋め込み自動課金システムとかできてほしいと思うくらいに、すっかり釣られ気分でございましたが、そういえば特定秘密保護法は未来の話しじゃありませんでしたね。たいへん失礼いたしました。

2014年1月13日月曜日

【御礼】2014年年明けうどん新年会

この間、カルチャーカルチャーで行われた「年明けうどん新年会」にいらしていただいたみなさん、ありがとうございました。個人的には、えのきどいちろうさんが、「“地方豪族チェーン”が来る」みたいなことを仰ってて、僕の2014年予想と似ていたのがとてもうれしく、さすがのキャッチ力にもうほれぼれでございました。
http://www.news-postseven.com/archives/20140105_234326.html

※しかし壇上で隣の席になって、あまりの近さに緊張しすぎて、10センチほど椅子を引いた根性なしは私でございます。

ちなみに近世のうどん事情で言うと、約100年前はまだ全国どこでも、ハレの行事や来客に合わせて自宅で打つならわしだったようで。あとはさぬきのように製粉所に小麦を持ちこんで麺と交換してもらったり、大阪あたりではうどん玉の引き売りもあったといいますが、1980年代の「三大うどん戦国時代(三大のはずなのに群雄割拠)」→2000年代の「さぬき中央うどん権時代」を経て、再び各地方のうどんに光が当たりはじめているのが、なんとも時代だなあという趣でございました。いま、無性に北海道と鹿児島のでんぷんうどんが食べてみたいです。特に鹿児島のさつまいもでんぷんうどん。どんなんなんだ。