2013年9月1日日曜日

食べログの功罪

久しぶりになんの手がかりもなく、ひとりでふらっとラーメン屋に入った。腹が減って、街に出たものの、目当ての店は土曜は日中のみ営業。近隣にある店は、一見で行くにはハードルがたかそうな店ばかりだった。よさそうな中華屋は土曜の晩に、単身向けのセットなどあるわけもない。きれいで新しいホルモン屋は、それゆえかえって一人では入りにくい。だいたい、今週何回肉を食べてるんだ。そういえば、昨日もホルモンだった。

そこで目についたラーメン屋に「えいっ」と入ってみた。外観は微妙。きれいでも汚くもなく、個人のようなチェーンのようなたたずまいだった。決め手になったのは、近隣の他の店舗はだいたい食べたことがあったのと、「ハーフセット」の充実ぶりが素晴らしかったからだ。

たいていの店の「ハーフセット」は「ラーメンと半チャーハン」とか「半ラーメンとチャーハン」みたいなものだが、ここのハーフセットは「ラーメンハーフ+チャーシュー丼ハーフ+餃子ハーフ+小鉢」で750円。店主にお願いしたところ、チャーシュー丼からごはんを抜いてつまみにしてくれた。今日の小鉢はもやしのナムル風。ビールにうってつけのセットのできあがりだ。

注文すると、すぐさま店主自ら瓶ビールと小鉢を出してくれた。もやしをつまみながらビールに口をつける。いい塩梅だ。なんだか孤独のグルメっぽい。次に、つまみチャーシューがやってくるはずだった。しかし、おそらく新人と思われる大陸系のバイト嬢が普通にチャーシュー・オン・ザ・ライスを持ってきた。

違う違う。そうじゃない。僕は、糖質制限ダイエット中である。幸い店主が気付いてくれて、「すみません。すみません」と平謝りしながら、特厚のおつまみチャーシューにしてくれた。肩ロースの煮込みチャーシューとろんとろん。ああ、ビールが進む。店主の「ラーメン、作っちゃっても大丈夫ですか?」との問いにも、お大臣気分でGOサインを出す。ラーメンもうまい。喜多方っぽい多加水麺でもちもちしている。あっさりしたスープも好みだ。やー、いい店じゃないか。

しかし、ラーメンを半分くらい平らげたところで、バイトが僕の横に伝票を置いた。あれ? まだ餃子出てないよ。あ、でもすぐ出るのかな。そうだよな。ラーメンをつまみにビールをゴクリを3往復ほど。うまい。しかし餃子は来ない。困った。とても困った。

餃子が来ないことにも、確かに困っていたのだが、実は本当に困っていたのは二つ隣の席で、とっくに食べ終わった黒いシャツをお召しになった方がスマホをイジっていることだった。

実はこの店のハーフセットの充実ぶりに気付いたきっかけは、カウンターの先客であるこの黒シャツさんだった。最初に店を探して街を徘徊していたら、黒いシャツを着た方が店頭でメニューをねめつけるように見つめていた。その後、すっと店頭から離れて何やらスマホをいじり始めていた。僕はその光景を横目に、違う店を目指したが、結局振られ、来た道を戻ってそのラーメン屋に入ったのだ。

しかし、餃子が供される前に伝票が出てきたタイミングで、気がついた。そうだ。あの方はきっと食べログユーザーだ。入店前にいったん、店頭を離れてiPhoneをイジっていたのは、食べログで点数をチェックしていたからに違いない。いかん、あの方たちはサービスにうるさい敏感だ。街のラーメン屋だろうと単価が安い店だろうと、バカみたいにサービスや気遣いを求めてくるご自身の尺度にしたがってご判断される。

大変だ。仮にレビュアーさんだったらどうしよう。さっき注文を間違えたのは僕のせいだ。「ハーフセット、チャーシュー丼をごはん抜きのつまみで」という、ややこしい注文をしたからだ。しかし、レビュアーさんだとしたら、そうした店の細かいミスにも気づいているはずだ。

ううっ。餃子が食べたい。どうしても食べたい。しかし黒シャツさんが店を出る気配はない。なんだ。こいつは。酒も飲まずにずっとiPhoneをいじっているじゃないか。まさかレビュアーさんなのか。書き込んでいるのか。うう。何を書いているんだろう。もしかして、僕がいま「餃子が出ていない」ともう一度店側のミスを指摘したら、何かネガティブなことを書いたりするんじゃないか。そんなの寝覚めが悪いじゃないか。一度考え始めると、妄想がどこまでも展開していく。

もはや妄想すること自体がつらいので、餃子をあきらめて先に店を出ようかとも考えた。だがやはり餃子も食べたい。本来なら普通に出てくるはずの餃子(3コ)だ。しかし、餃子を出せなどと言ったら、先ほどのチャーシュー丼の間違え方からして、ハーフどころか一人前の餃子をサービスで出してくるかもしれない。でもそんなには食えない。しかし先に「ハーフでいいですよ」と念を押すのもおかしな話だ。1ブロックで逆接を4回も使って、お恥ずかしい限りだが、それくらい逡巡していたとご解釈いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

何もなければ「ハーフ餃子来てない」と言えばいい。だが隣にいるのは食べログユーザーさんだ(たぶん)。別に食べログが悪いわけじゃないけど、食べログユーザーさんだ。あちこちの店主が歯切れの悪い口ぶりで「ありがたいんですけどね……」と言うレビュアーさんかもしれない。

そこではたと気がついた。もしやいまジューッと音を立てているのは、僕の餃子か。そうか。そうに違いない。あまりの空腹に気がはやっていたに違いない。ならば、すべては濡れ衣だ。お店よ、食べログよ、黒シャツさんよ。ごめんなさい。

そう思った瞬間、ようやく黒シャツさんがようやく席を立った。よし、もう餃子も焼きあがったようだ。ビールもなくなった。この餃子3コでビールをもう一本飲もう。餃子を載せた皿が数皿、トレイにのせられた。ホッとしながら、入り口近くで会計をする黒シャツさんをそっとお見送りする。なんだか食べログっぽい画面がスマホに表示されている気もするが、あまりジロジロ見るのも行儀が悪いので、フロアの方に目を向けた。

バイト嬢がトレイを持って僕のほうに向かってくる。よし、ビールを注文だ……! と意気込んだ瞬間、彼女が何か言おうとしている。そうかそうか。焦るな。まずは「お待たせしました」と言われよう。その後に「ビール1本」と言えばいいだけの話だ。さあ来い。餃子め。なんだかスローモーションに見える彼女が口を開いた。

「お下げしてもよろしいですか」。

えっ……。見るとトレーの上にあった餃子はない。店内奥の客に供されたようだ。目の前の皿が次々を下げられていく。黙って立ち上がり、僕はレジへと会計に向かった。店主が何のてらいもなく「750円です」と言う。ビール代が入っていない。もしや「餃子の分を引いてくれたのか」とも思ったが、それなら一言何か言うはずだ。一瞬、「行って来い、かな」とも思ったが、それじゃあ気持ちが落ち着かない。

「ビールもいただいてますよね」と告げた僕に店主はこう言った。

「ビールは生ですか、瓶ですか」

えっと……。そこからですか。

*********************

なんのことはない。注文を覚えられない料理店の話だ。食べログの功罪というよりも、気の小さい僕が妄想し過ぎなのだろう。

でも食べログ以前なら、普通に「ハーフ餃子、出してもらっていいですか」と告げていたはずだ。隣にいる客がどんな客だろうと、そこまでは気にしなかった。以前エキサイトレビューにも書いたように、一部ではあるが、世の中には「俺がレビューを書いたから、あそこの店は繁盛し始めた」というレビュアーさんもいらっしゃる。

飲食店の店主から食べログのレビュアーについてのグチも散々聞いてきた。はっきり言う。とても評判の悪い人が結構な数でいらっしゃる。本人にそうは告げていなくとも、ハンドルネーム名指しで「迷惑だから、あの人にはきてほしくない」と言った店主もいる。

「写真を許可された」といっても、程度というものがある。のべつ幕なしに撮りまくって、「迷惑なら言えばいい」だなんてどれだけ上から目線なのか。好みの味じゃないからといって「食べられたものではない」と書く人は、よく食べ物好きを気取れるなあ。おなかでもこわせばいいのに。

そういえば、「客のため」とレバ刺しをこっそり闇で出していた店も、このところまた保健所の締めつけが厳しくなり、裏メニューからも外す店が増えてきた。保健所だって、食べログなどはチェックしている。店に無断で写真を撮り、「レバ刺しなう」などと、友人相手の優越感に浸った投稿は自分の知らない誰かに見られている。保健所は、法律にしたがって粛々と取り締まるのがお仕事。客は好きな店の空気くらいは読むのがお作法だ。

一部の人の密かな楽しみを食べログ(のレビュアー)が世間に喧伝することで、うまいものが駆逐され、店内も「撮影禁止」になっていく。ああ、まったくもって窮屈だ。このところ、すっかり日常のネタと化したバカッター画像よりも、「レバ刺しなう」などとソーシャルに書き込むほうが遥かに悪質だということをご理解いただきたく、本日も原稿をお待ちしたり、お待たせしたりしております。