2014年3月16日日曜日

藤巻幸大さんの訃報に接して

今朝から各所で報道されているが、藤巻幸大さんが亡くなったという。まったく実感が湧かない。

初めてお会いしたのは10年ほど前だったろうか。大人系ライフスタイル誌での「美人秘書特集」で取材させていただいた。神宮前のオフィスに伺ったから、福助にいらしたときだったと思う。再建中の会社のトップなのにこんな軽い企画を受けてくださった上に、自ら社内のあちこちを案内してくださった。もちろん、しっかり商品と社員のPRもしていただいたけれど。

その次の取材時には、セブンアンドアイ生活デザイン研究所の代表になっていらした。「転職当たり前時代の会社員としての生き方」みたいなことを伺ったと思う。週刊SPA!のそれほど大きくもないコラムだったのに、快くお時間を割いてくださった。そういえばこの取材のとき、ちょっとくすんだピンクのデニムのジャケットを着こなしてらしたのが、すごくカッコよかった。

影響された僕は直後からピンクのデニムを買い漁るようになる。たいへん失礼ながら藤巻さんとは「背が高くない」「顔が小さくない」という共通項があると勝手に思い込んで、その着こなしをことあるごとに(勝手に)勉強させていただいていた。

その後も藤巻さんは全然落ち着かれる様子がなくて、フジマキ・ジャパン、テトラスターなど、お会いするたびに名刺の肩書が変わっていった。この3年ほど僕自身はごぶさたしてしまっていたが、弊社の島影が『藤巻百貨店』に関わっていて、昨年の晩秋、久しぶりにごあいさつさせていただいた。お変わりないようで何より。少なくともそう見えた。思えばいつもそうだった。確かSPA! の取材の前後にも大病をされたはずだったが、お会いするとまったくそんな素振りを見せなかった。

いつでも、どんな現場でもそこにいらっしゃるだけで、場に活気があふれてくる。藤巻さんはそういう方だ。実は藤巻さん一流の気遣いと、ポジションに見合わぬ腰の軽さのなせる業でもあるが、あれほどまでに、プラスの気で現場を掌握できる人を僕はほかに知らない。

あの驚異的なアクティビティを考えると、仕事の現場で藤巻さんの気遣いに直接触れた人は、数万人にはのぼるだろうし、間接的な話や講演、著書などで「藤巻イズム」に触れた人の数となればその何十倍にもなるはず。少しでもその空気に触れたものとしては、これからも世の中を楽しくするお手伝いをもっと一生懸命していこう。いまはそのくらいのことしか思い浮かびません。

第一報に触れてもう半日が経っているし、ここまで書いてもどうにも現実感がありません。藤巻さん、「どうぞ安らかに」はもう少し経ってからにさせてください。

2014年3月13日木曜日

『ストーリー311』に学ぶ、「企画する」ということ

企画を立案し、効果的に実行するのはいつも難しい。原稿でもイベントでも難しさは同じ。企画が弱いと世の中に届かない。かといって、妙な強さが悪目立ちすると誰かを傷つけたり、不快にしかねない。そして企画の柱がしっかりしていないと、誰のためのどんな企画かわからなくなる。だからこそ、どんな規模のどんな企画でも、とりわけ震災関係の企画は、土台を強固に作る必要がある――。というエントリーを書こうと思っていますが、書き進めるうちにどうなるかはわかりません。申し訳ありません。

ちょっと前、次のような原稿をニュースサイト(エキサイトレビュー)に書きました。かなりフラフラの状態で書いた突貫原稿なので日本語がちょっと恥ずかしく、いまさら修正するのもそれはそれで恥ずかしいのでどうしようか迷ってるというのは余談です。

どう発信すれば誰に届くのか。漫画で描き残す東日本大震災『ストーリー311』の選択
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140311/E1394480788315.html

"震災企画"の難しさは、被災地とそれ以外の地域で、「震災」の捉え方がまったく違うところに象徴されます。まず企画立案の前に「目線の高さ」「感情の温度」「利用感」といった、「気持ちとコミュニケーション」の土台をかためなければならない。ざっくり言うと、かためるべきは以下のようなポイントでしょうか。

  1. (主に東京など他地域でスタートした企画の場合)、目線は高くないか。企画側・発信側が「施し」の満足感・優越感に浸っていないか。
  2. (特に地元や近い人からスタートした企画の場合)、発信者として冷静さを失っていないか。地元以外に暮らす人にきちんと届く設計ができそうか。
  3. 「震災を利用」していないか。

どの項目でも、人の受け取り方は異なるわけで、動機が100%善意によるものでも、ある人がどんなにうれしいと感じる行動でも、人によっては不快だと感じることもある。「感情とコミュニケーション」のさじ加減はいつも難しいわけです。日常がそうであるように。

1.は「布施」とか「喜捨」(http://puchishugyou.blogspot.jp/2008/10/blog-post_22.html )のような心の持ち方があれば、誰もが互いにフラットな関係を築くことができるはずですが、「目線の高さ」はあちこちで間違える人が続出するほど、ゼロから伝えるのは超難しいわけで、細かくはさておき、日本語としては「☓☓してあげる」禁止ということで、よろしくお願い申し上げます。

2.は「正しい」という主張を捨てられるか。言いたいことをそのまま大声で叫んでも何も伝わりません。伝えたいことをぎゅうぎゅうと絞って、最終的に伝えたいことを絞り出して、さらに加工して物事は初めて伝わるようになります。伝えたいことのために、言いたいことを切り捨てる覚悟と、その一方で絶対に捨てちゃいけないものを見極める審美眼が必要だと思われます。

3.でありがちなのは、動機が善意でありさえすれば、許される、認められるという勘違い。例えば、去年あたりからこんな活動がときおり目に飛び込んできます。

京都)東北支援へ学生バス 活動費は大人の寄付
http://www.asahi.com/articles/ASG2K41Y1G2KPLZB00K.html

動機は善意なんでしょう。でも大学生なら交通費と民宿代くらいバイトで稼げるはず。深夜バスなら片道数千円でわりとどこにでも行ける。「授業以外は比較的時間に余裕がある」なら交通費・宿泊費を自力で稼げばいいじゃまいかという気がしてしまいます。学生さんは本気でいいことしてるつもりなんだろうけど、人のカネで現地入りすることに気が引けたりしないんでしょうか。小中学校のとき「こづかいしかもらってない人間が人におごってはいけない」と親御さんから習わなかったろうか。そして、大人も叱るべきは叱らないと。無責任に背中を押すのが大人の仕事ではない気がします。

一方、『ストーリー311』プロジェクトは、今回の資金調達にあたり、クラウドファンディングという手法を選択しました。
http://shootingstar.jp/projects/357

出資を募って、その対価としてマンガ家の手によるSNS用アイコンや、サイン本、打ち上げへの参加権など、出資者の価値に見合うものを提供する。マンガ家には普段からSNSなどで「誰に何を届けるか」を考えている人も多い。だからこそ、価値の等価交換をきちんと成立させられる。しかも取り組みが目新しいから、ニュースとしての価値も生まれる。報道されると、この本の存在、ひいては震災の記憶が伝播し、刻まれる。本が売れる過程で「震災の記憶」をさまざまな形で残していくことができるわけです。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1311/22/news097.html

『ストーリー311』の土台は、前巻のプロローグで、発起人のひうらさとるさんが描いていた「一番大切なことは"被災者ではない私たちが普段通りの"日常生活"を送ることではないか」「なにか少しでも私たちにできることはないんだろうか……」という思いにあるんでしょう。

そしてきっとその根底には「何をどこまで描いていいのか」「この表現で誰かを傷つけやしないか」「でも、表現を丸めて、あの震災を知らない人に届くのか」という、やさしい迷いがいつも流れている気がします。真剣な支援を目指すからこそ、作家は迷うわけです。それでも迷いながら、「作品」という形でその時点での結論を出さなければならない。迷いの積み重ねが読者の心に響くような作品となり、支援につながっていくわけです。

取材や執筆のタイミングが異なれば、拾い上げる要素や表現の手法も変わるのはごく自然な話で、今年の版には去年の続編もあれば、原発作業員を描いたまったく違う切り口の作品なども盛り込まれました。作品のバリエーションや層の厚みが増し、全体により立体的になったと言える気がします。

ざっくり性格を色分けすると、Webでの連載からコミックスとなった2013年版は「2012~2013年のできごと」、クラウドファンディングをベースに資金調達をした2014年版は「それぞれのこれから」。2014年度版は海外展開も決まったそうです。展開の形や時期が明らかになったら、1500万いいね! を誇るTokyo Otaku Mode(https://www.facebook.com/tokyootakumode )さんあたりに、ぜひ海外向けのレビューを書きたいので、関係者のみなさま、ぜひレビューの方も英訳や展開などなどご相談させてください。

『ストーリー311』のそっと寄り添うような繊細な表現の数々からは目線の高さなどみじんも感じられず、伝え方は過酷で知られるマンガ業界の第一線で活躍する作家さんならでは。「利用」ではなく「貢献したい」という思いは、「全額チャリティ」を持ち出すまでもなく、作品のそこかしこから伝わってきます。たくさん売れたらいいな。いろんな人に届くといいな。そう願わずにはいられません。

ところで昨今、いろんな分野でフィクションとノンフィクションの境目について、やいやい言われております。フィクションでもノンフィクションでも、下敷きが事実でなければ説得力は生まれませんし、どちらが上とか下とかそういう話ではありませんが、世のフィクションの多くは妄想でもなんでもなく、積み重ねられた事実をベースに作家が細密に物語を編むのだということを申し添えつつ、資料も添えておきます。

早稲田文学 記録増刊 震災とフィクションの距離
http://www.amazon.co.jp/dp/4948717053

そして肝心の『ストーリー311 あれから3年 漫画で描き残す東日本大震災』ですが、3月13日早朝現在、Amazon(http://www.amazon.co.jp/dp/4041210445/ )さんでは絶賛入荷待ち中ですが、在庫はあるところにはあるようです。
トーハンのオンライン書店、e-hon(http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033061987&Action_id=121&Sza_id=A0 )
hontoネットストア(http://honto.jp/netstore/pd-book_26056641.html
セブンネットショッピング(http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106371316/subno/1