2015年1月29日木曜日

本日の夕刊フジ

29日、つまり「肉の日」ということもあってか、『大人の肉ドリル』著者インタビューを掲載していただいておりますが、タブロイドの全面記事の迫力に若干後ずさり気味でございます。

2015年1月20日火曜日

『大人の肉ドリル』一時在庫切れのお詫びと、お早め入手法のご案内

いつもお世話になっております。拙著『大人の肉ドリル』ですが、発売からそろそろ2か月近くが経っているのに、いまだにAmazonの『男の料理』ランキング1位に図々しく居座らせて頂いております。cakesやNEWSポストセブン、All Aboutでの連載記事のほか、各メディアさんのほうでもご紹介を賜り、本当にありがとうございます。

本日も「Web本の雑誌」の書評コーナー「BOOK STAND」にて
「豚肉は中までしっかり火を通してから食べる」という常識は間違いだった!?
http://bookstand.webdoku.jp/news/2015/01/20/073000.html

と、ご紹介をいただいたところ、
Amazon(http://www.amazon.co.jp/)とe-hon(http://www.e-hon.ne.jp/)の在庫が一時切れを起こしております。ご迷惑をおかけしてたいへん申し訳ございません。

しかしながら、リアル書店さんやリアル書店系のネット通販ではまだ在庫のご用意があるようです。何かの拍子に気にかけてくださって「すぐ読みたい!」という方は以下のほうからどうぞよろしくお願い申し上げます。実際の路面店のほうは各店舗ごとに状況が異なると思われますので、お近くのお店にお問い合わせくださいませ。お手数をおかけしてたいへん恐れいりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

・紀伊國屋書店
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784838727230

・丸善ジュンク堂
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?product_id=3000286123

・TSUTAYA
http://shop.tsutaya.co.jp/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%82%89%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%AB-%E8%82%89%E3%83%90%E3%82%AB%E7%A7%98%E8%94%B5%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94-%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E9%81%94%E4%B9%9F/product-book-9784838727230/




2015年1月6日火曜日

MODERNIST CUISINEの衝撃。

とうとうやってしまいました。ずーっとガマンしてたんですが、もう限界でした。何の話かというと、こちらの方の話です。



や、この方、マイクロソフト元CTOのネイサン・ミアボルドがやってきたわけじゃありません。やってきたのはこの人がプロデュースした巨大で超重い洋書の調理百科事典(のようなもの)。"MODERNIST CUISINE: The Art and Science of Cooking" です。



全巻セットの重量はAmazon.comの重量表示で52.2pounds(kg換算すると23.6775217 kg)。2Lのペットボトル6本入り2ケース分にも相当します。配達してくれたヤマトの兄ちゃんのあれほどぐったりした顔を初めて見ました。

概要は、こちら(http://www.fashion-press.net/news/3038 )。料理書です。アメリカでは2011年に出版されていて、ずっと訳書を心待ちにしていたのですが、3年たっても訳書が出ない。というわけで、しびれを切らしてロクに英語も読めないのに、6冊セットで500ドル以上もする洋書をAmazonで注文してしまったわけです。

注文後、Amazonから「誠に申し訳ございませんが、以下のご注文商品の入荷が遅れているため、やむを得ずお届け予定日を変更させていただきました。キャンセルも可能です」というメールが来て、「やっぱ(高いし)キャンセルしようかな……」とも思ったのですが、なんとか耐え忍びました。結果から言うと初志貫徹してよかった! コラムニストの石原壮一郎さんが、拙著『大人の肉ドリル』の書評の書き出しで「バカが書いたどうかしている本です。」と絶賛してくださいましたが、本当にバカでどうかしているのはこの本のほうでした。素晴らしすぎます。

そんな極厚×激重なセット本の各タイトルは、以下のとおり。
1.History and Fundamentals(歴史と基礎)
2.Techniques and Equipment(技術と機材)
3.Animals and Plants(動物と植物)
4.Ingredients and Preparations(成分と準備)
5.Plated-Dish Recipes((盛りつけ?)レシピ)
6.Kitchen Manual

中面を開くと、ビジュアル、テキスト、表組のすべてから(分子)調理科学の最先端を行ってやろうという気概がひしひしと伝わってきます。ビジュアルひとつとってもそう。そこかしこに散りばめられた顕微鏡写真は学術論文では見たことがないほど美しく、物理的にブッタ切った写真(熾きた炭火&食材込みのWeberのBBQグリル、肉を挽いている途中のミートミンサー、炒めもので鍋ふりしている最中の中華鍋)など、どうやって切ってどう撮影したんだ的ビジュアルは眼球への引力が半端じゃありません。


しかし何よりこの本がすごいのは、ここまで手をかけたビジュアルが、あくまで"釣り"要素でしかないところ。情報の濃度密度変態度((C)小石原はるかさん)が強力すぎるわけです。例えばこの本が出版された2011年3月時点では、USDA(アメリカ合衆国農務省)による豚肉の加熱基準は中心温度71℃とされていました。しかし"MODERNIST CUISINE: The Art and Science of Cooking"には、アメリカ連邦政府の"安全基準"である61℃1分など、その他の基準も紹介されています。


実は食肉の加熱基準はとても曖昧で、日本でも63℃30分と75℃1分が混在していたり(厚生労働省はこのふたつを「同等」と言っていますが、63℃30秒は75℃に置き換えると5秒相当に当たるはず)、誰が何を基準に言っているのかよくわからないということがよくあります。このシリーズでも1巻のP179にこんなキャプションがあります。

Some food safety rules have evolved to reflect that pork cooked at lower temperatures is safe; others have not. Most cooks and cookbook authors insist that the higher temperature is the only one that will eliminate contamination. They are wrong.
自分の英語力にまったく自信がないので、信頼度が高いとされる英訳サイトに貼りつけたところ、以下のように訳されました。
若干の食品の安全規則は、低い温度で料理されるポークが安全であると思うために進化しました;他は、そうしませんでした。大部分のコックと料理の本著者は、より高い温度が汚染を排除するただ一人の人であると主張します。彼らは間違っています。
意訳すると「食品の加熱基準は、古臭い高温基準と、豚肉に象徴されるようによりおいしく食べられる低温へと進化した基準がある。 多くのコックと料理書の著者は昔ながらの温度でないと食中毒の危険は排除できないというが、それは間違いだ」ということのようです。

そして因果関係はわかりませんが、この本が出た2ヶ月後、USDAは豚肉の加熱基準を71℃から63℃3分に改めています。ちなみに同書内では鶏肉の加熱基準も、USDA基準の「74℃(no time given)」という昔ながらの高温から、2007年に微生物学者のVijay K. Junejaが(サルモネラ菌を除去する温度の研究結果として)発表した「胸肉62.5℃4分17秒」「もも肉62.5℃5分28秒」まで、かなり細かくさまざまな機関が設定した温度基準が掲載されています。

そうした"安全基準"を前段に書いた上で、3巻の"Animals and Plants"には肉ごとに「レア/ミディアムレア/ピンク/ミディアム」の温度帯を記した表組が掲載されています(下部の「俺たちの好みの温度帯にマーカーを引いておいたぜ」というキャプションがなんだかアメリカっぽい)。表内では牛、豚、鳥、羊のほか、ダチョウやうさぎなどに至るまで「おいしい(と彼らが考えている)温度帯」にマーカーが引かれていて、しかも動物によっては部位ごとに最適温度が異なっています。例えば牛ならば、フィレ(ヒレ/ヘレ)は50℃、フランク(ともバラのもも側)56℃、ハンガー(ハラミやサガリ)58℃など。豚や鳥も複数の部位の加熱基準が書かれています。

それにしても! ざっと目を通してみると、訳書が出ていないのがあらためて悔しいしつらえ。だって本書内では築地市場も紹介されているし、各レシピ中には醤油(Soy Sauce)や味噌(Miso)も登場します。"YAKITORI"のレシピにはさらりと"Mirin"の表記も。ほかにも昆布やひじきなどの海藻類や、干ししいたけに舞茸など日本の食材がそこかしこに。なのに、なぜ日本語版が出版されないのか。

洋書を買ってしまった以上、訳書が出版されたとしてもほいほい手を出せるかという意地のようなものやサイフ事情もありますが、訳書につきものの誤訳&誤植探しという楽しみにたどり着くことのない語学力のせいで、きっと手に入れてしまうと思われます。何万出しても読みたいと思っている方、結構いらっしゃると思うんだけどなあ……。蛮勇あふれる出版社さんの挙手を心待ちにしております。

2015年1月4日日曜日

お参りの長い人は何をお願いしているのか(新年、あけましておめでとうございます)

この10年くらい、神社へのお参りをわりとちゃんとやるようになりました。実は僕が初詣にまつわる作法あれこれを知ったのは30歳を過ぎてからでした。当初は大人のたしなみを知っておくという意識もあった気もしますし、自営業者やフリーランスとしての願掛け的な意味もありました。そして実際に正しいお参りや詣で方をするようになると、確かに心持ちが変わるのです。といっても、いわゆる"オカルト"的なものではありません(そういうのも好きではあるんですが、いったん置いておきます)。

初詣というと「△△できますように」とお願いごとをする人が多いのでしょうか。僕も以前はそうでした。でもここしばらくは初詣の際「お願いごと」はしていません。以前、ある宮司さんから初詣とは「誓い」の場であるという話を伺ったことがあります。ものすごくざっくり言うと、神様の前で自らに「制約と誓約」((C)HUNTER×HUNTER)を課す。そうして立てた誓約に沿って行動すると、ご利益を受けやすい環境が整う。そういうもののようです。といってもせっかくごあいさつに伺うわけですから、「神様とお近づきに(仲良く)」なろうとはしています。「苦しいときの神頼み」と言いますが、やっぱり神様からも覚えがいいほうが、ここ一番でいいことがありそうな気もしますし。

というわけで、今年の元旦も、近所の氏神様と明治神宮と花園神社に新年のごあいさつに行って参りました。初詣の目的は新年のごあいさつとともに、去年のおふだを納めて、新しいおふだを受けること。神棚を祀っている方はよくご存じだと思いますが、神棚のおふだにはいくつか種類があります。

・受けるおふだは3種類
自宅や職場の神棚にまつるおふだはたいていの場合、3種類程度。まず、全国共通の「神宮大麻」、そして地域を守る鎮守様=氏神様のおふだ、それに崇敬神社のおふだの3種類です。「神宮大麻」はほぼ全国の神社にありますから、氏神様のおふだと合わせた2種類は近所の神社で入手できます。崇敬神社は地縁と関係なく、個人的に「いいな」と思う神社を自由に崇めることができるので、お気に入りの神社で入手されるといいと思います。八百万(やおよろず)の神々は基本的に仲がいいというお話なので、それぞれ自分の暮らしにご利益がありそうな神様を頼ればいいようです。

ちなみに僕は「芸道」の神様である新宿の花園神社を崇敬神社としています。執筆・編集業は広義では「芸」となるので、出版業界にはこちらに新年のあいさつをされる方がけっこういらっしゃいます。ちなみに境内にある摂社の芸能浅間神社も、演劇や歌曲など芸能関係の奉納が多いことで有名です。実はこのブログを書くにあたって、花園神社のHPを確認したところ、なんと御祭神は酒造の神様としても知られる木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)! Wikipediaによれば全国に約1300ある「浅間神社」に祀られているということをいまさらながらに知りました。このところ、公私ともに酒漬けなので、今後ともまじめにお参りしていこうと心に誓った次第であります。

ここ最近の僕の定番コースとしては、近所の氏神様で「神宮大麻」と氏神様のおふだを受けつつ初詣。そこから移動して明治神宮に参拝→移動して花園神社の本殿と境内にある芸能浅間神社にもお参りしつつ、花園神社のおふだを受けます。おふだは神様との間をとりもつチャネルのようなものだと解釈しているので、おふだがあればいいという方もいらっしゃりそうですが、ごあいさつをしたほうがチャネルがより効果的に機能しそうな気がします(逆もまた真なり)。このあたりは人間関係と似たようなものだと勝手に解釈しています。

・お参りのお作法
さて実際のお参りですが、手水舎(ちょうずや)でのお清めなど、基本的な作法はなるべく行います。ちなみにYouTubeなどを見ていると、手水舎でのお浄めの作法もいろいろあるようですが、左手→右手→口→柄杓の柄の順という作法が好きです(https://www.youtube.com/watch?v=-omlG4JBuOw)。

・「お参りが長い」その理由
その後、本殿前の賽銭箱にお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼となるわけですが、いろいろご存じの方はこの後のごあいさつが長い。でも仕方がありません。新年くらいはきちんとごあいさつしなければ。僕の場合、新年のあいさつは、たとえば次のような口上を脳内で黙読しています。

「●●様(①神様の名前) あけましておめでとうございます。私、東京都✗✗(②住所:地番、部屋番号まで)に住まっております、③昭和64年④酉年11月17日生まれの⑤松浦達也と申します。⑥本日は新年のごあいさつに伺いました。⑦旧年中はたいへんなご加護を賜り、誠にありがとうございました。⑧本年も仕事に✗✗(その年のテーマ)に精進してまいる所存ですので、⑨引き続きご加護を賜われれば幸甚でございます。最後に⑩●●様(神様)のご健勝、ご清栄、ご発展を祈念いたしまして、新年のご挨拶とさせていただきます。⑪それでは本日はこれにて失礼致します」

意味もなく生まれ年でサバを読んでみましたが、だいたい普段のお参りからこれくらいの情報量を盛り込んでいます。分解すると
①神様の名前(神社名や地方で立ち寄ったとき、名前がよくわからなければ「神様」と呼ぶことも)
②自分の住所(八百万ネットワークで検索してもらいやすいように)
③生年月日(個人ID)
④干支(個人IDが格納してあるであろう神様のフォルダ検索仕様)
⑤氏名
⑥本日立ち寄った経緯(たまたま、旅先、所用なども含む)
⑦昨年の御礼(「いつも」などのパターンも)
⑧誓約
⑨ご加護依頼
⑩僭越ながら神様へもエール(そのほうが喜ばれるらしい)
⑪〆のあいさつ

というのが基本パターンです。「どうか✗✗できますように」という"お願い"ではなく、自分の身分を明らかにしながらごあいさつをする。そして前年の誓約の達成度に思いを馳せながら、今年の誓いを立てつつ、相手(神様)の事情にも心を配る。どうやったって30秒以上かかります。実はこのパターン、以前、ある宮司さんから伺った神様相手のあいさつのフォーマットに則ったものですが、重要なのは⑧の「誓約」の前に、⑦の「御礼」があること。ここで去年の誓約の達成度とも向き合うことになります。ふだんのお参りなら、日常の「振り返り」の行為にもなるわけです。

つまり、神社とのお付き合いのなかには、自然にPDCAサイクル的な要素が含まれているわけで、ビジネス系の駄本を読むくらいだったら神社に行ったほうが気分もよくなりますし、そもそもビジネス書の目次を思い返すと、並んでいるのはおみくじのような文言。ならばおみくじでいいじゃないかと思いつつ、本年のおみくじを見返してみました。


左の花園神社のおみくじはもうおっしゃるとおりで、「自分のネットワークをフル稼働させ、正直にそして真摯に前へ進め。ヤバいと思ったら止まって考えましょう。あ、ズルもあきませんよ」というような感じでしょうか。一方、右の明治神宮のおみくじの解釈は悩みました。まあ「国民の自覚を強くし責任を重んじる」となると、できるかぎり多くの税金を払うくらいのことしか思い浮かびません。というわけで、本年もささやかながら法人税と消費税をお支払いできるよう、仕事をがんばってまいろうと思う次第でございます。