2014年12月31日水曜日

年末御礼(宿題中)

今年の大晦日も、たくさんいただいた宿題をあれこれとこねくりまわすリアル年末進行となっており、各方面のみなさまに感謝の念にたえません。と文字にしてみると、若干皮肉っぽく見えるような気がして文字コミュニケーションの恐ろしさを再確認するわけですが、本当の本気で感謝の念にたえません。だって仕事がないと生きていけないのはごく当たり前の話で、だいたい農家さん、特に動物相手の畜産家さんなどは昔から1年中働いてらっしゃいます。商家の初詣や酉の市、年始のあいさつまわりも意識の上では業務の一環でしょう。

数日以上、仕事を完全に意識から外すような生き方は、潤沢な蓄えを得た貴族的な暮らし向きの方以外にはありえないと考えているのですが、いかがでしょうか。個人的には、ゆるめることはあっても、忘れることはないというような湯加減が負け惜しみ的にもちょうど良うございます。

というようなことをうっかり口走るとお叱りをいただきかねない気もしますが、少なくとも日本では「ロングバケーション」なんてものは高度成長期以降、ようやく社会に根をおろしかけてバブル崩壊で会社や仕事ごと吹っ飛んだ仕組みなわけで、「あって当たり前」のものではなかったはず(このあたりは農耕民族と狩猟民族に受け継がれてきた習俗の違いもある気もしますが)。

周囲を見ているとデキる会社員の方々は、休暇中でも業務的インプットやアウトプットがアディクト化しているわけで、そもそもこの超高齢化社会において、ごく一部の貴族的な財産持ち以外は死ぬまで働かなければならないのは必定です。というか、「早くリタイヤしてえ」と言いながら、死ぬほど働いている貴族志向の方々は仮に"リタイヤ"に成功したとしても、働き方というか貨幣のようなものを媒介にした世の中との関わり方が微妙にズレるだけで、それはそれで働いていることと何が違うのか境界線がよくわかりません。ましてや、普通に暮らしていく我々としては、死ぬまで働けるカードを何枚持つことができるか、そのためにいま働いていると言っても過言ではないというごく当たり前の事実を再認識せざるを得なくなるわけです。

それにしても「農耕」と打とうとして「濃厚」、「狩猟」と打とうとして「酒量」と変換されるIMEがいまの僕の仕事をどことなく体現しております。そんなところからも「働く」と「暮らす」の境界線が(本来そうであったように)曖昧になっていくのだなと思うと、年末進行はもはや通常進行と何が違うのかわからなかったり、2014年と2015年の境目も除夜の鐘とともに溶けていくような気分にすらなってまいりますが、本日の夜も極私的通例にならいまして、全力でカニと蕎麦にありつこうと思います。

ともあれ2014年もみなさまにお世話になり、ありがとうございました。来る2015年が、みなさまにとって素晴らしいものになりますよう、心よりお祈り申し上げつつ、今年一番おいしかった宮崎牛の画像とともに来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


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