2013年3月21日木曜日

裸婦像と恥の文化とBlogという発信ツール

なんだかあちこちのメディアで、結構な騒ぎになっている、島根県奥出雲町。昨年夏に公園などに設置したダビデ像とビーナス像という、 巨大な裸像を目にした町民らは「子どもが怖がる」 「教育上ふさわしくない」と町議に苦情を申し立て、町議会でも取り上げられるなど 世界中から注目をあびているそうです。

この件について、奥出雲町の町議さんは去年の9月の時点でBlogに以下のようなエントリを投稿されてらっしゃいます。
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11345897420.html
http://ameblo.jp/tomuramura/entry-11475423040.html

>寄付していただく段階で、もっと他のもの(スサノオ像や稲田姫像、
>遊具や休憩所等)や現金にしていただくことはできなかったのか。
>設置されて数日しか経っていませんが、かなりの反響というかクレームがあります。
>それは、そうでしょう。奥出雲との景観とはマッチしないし、
>子どもたちも多く集まる場所に、男女の裸体の像ですので。。。

うーん。台座の原資として、1500万円という町の予算が使われたことに疑問を呈しながら、寄付が(他のものや)現金にならなかったものかという謎の変化球を投げていらっしゃいます

さらには「景観とはマッチしない」というなら、奥にある極彩色のブランコのほうが、よほど景観にはマッチしません。町民から疑問の声が上がっているということであれば、町議さんとしてはこういうエントリになるのは仕方がないのかもしれませんが、歯切れが悪い上に、どうも話の展開がうまくないような気が……。

ところで、実は日本において似たような問題は100年前から起きていたのだとか。

>当時は芸術であることを強調するため、日本人離れしたプロポーションに描いたり、
>腰巻で下半身を隠したりと、さまざまな創意工夫がなされた。

記事中では「明治期に初めて裸の絵を見た人は、笑うか、『肝心なものが見えてない』といって怒るかの2種類の反応が大半で、そうした時代に多くの画家たちは『芸術としての裸』を確立すべく苦心」してきたという識者の意見を紹介しています。

日本人は「羞恥」の概念が強いと言われます。文化人類学者のベネディクトが1946年に出版した『菊と刀』のなかで、日本人を「恥の文化に属する民族だと規定したのはあまりにも有名な話ですが、果たして本当にそうなんでしょうか。

20メートルの巨大裸婦像が英国の町に 「わいせつ」「グロ」と物議醸す
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1210/18/news121.html

「芸術か、それともワイセツか」学校前の巨大裸婦像看板が話題に―中国(凜)
http://kinbricksnow.com/archives/51754767.html

結局のところ、今回のような問題は全世界で起きている模様で、本当に問題なのは、歳費で裸婦像を展示することでも、「町民から疑問の声が上がったから」と俎上に上げたことでもなく、問題提起の手法を含めたディベートや情報発信の技術なのかもしれません。一昔前なら、こうした話題が世界に向けて発信されることもなかったでしょうから、町長さんも町議さんも奥出雲町自体もちょっぴりかわいそうな気もしないでもありませんが、町議さんにおかれましては、Blogで発信している以上、こうした話題になるのもまた、仕方のないことだと割りきって、日々のお仕事に邁進していただきたいとエールをお送りさせて頂きます。

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